こんにちは、ないけんシラチャです。
シラチャが世界的に有名な日本人街を形成するに至ったのが、日系企業によるタイ進出でした。1990年以前はタイの田舎の漁村であったシラチャに、周辺工業地帯において日系企業が続々と進出したため、あれよあれよという間にタイで最も大きな日本人街の一つとして有名になりました。
そんなシラチャの工業地帯にまるわる歴史などについてご紹介したいと思います。
シラチャ周辺の工業地帯成り立ちの歴史
1980年代にタイの国家的プロジェクトとして、臨海開発がスタートしました。これにはタイで天然ガスが発見されるという大きな出来事が関係しており、場所はちょうど現在のシラチャあたりでした。
そして船舶の行き来において大型船が入港できる港が必要となったことで着目したのが、もう言わずともわかりますね、そう、シラチャです。そしてレムチャバンの港は、国際的な商業の港として開発されました。
これによってシラチャは機械工業の輸出拠点として、インフラ整備が行われましたが、ここで日本がこのインフラ整備や工場などの建設に多額援助しています。そしてシラチャの港は、1991年にタイ国内最大級の規模として開港しました。
周辺の工業地帯
シラチャの工業地帯はその立地から、港の機能やインフラなどから日系企業に注目されている地域です。タイで有名なアユタヤの工業地帯は、一度大きな洪水被害にあって以来、そのリスクや、過密気味な場所の問題などから、工業用地はシラチャ方面へシフトしている傾向があります。
シラチャ近郊の工業地帯には主に以下のような工業地帯があります。
サハ工業団地(サハグループ)、レームチャバン工業団地、ピントーン工業団地、アマタシティー工業団地、イースタンシーボード工業団地 (ラヨーン)、ヘームラート・イースタンシーボード工業団地、ボーウィン工業団地など。
日本人の増加と発展
前述のような開港やインフラ整備の工業地帯形成のあゆみから、一漁村であったシラチャの町に日本人が多く住むようになり、シラチャ中心部であるロビンソンデパート周辺から日本人向けの飲食店やお店ができ、そして日本人の通う学校と、日本人の住む環境が整っていきました。
まとめ
シラチャが世界的に見ても大きな規模の日本人街を持つほどになり、それに付随して不動産も日本人向けの賃貸物件の建設ラッシュがありました。現在もJパークなどの新しいエリアに大規模な日本人専用の集合住宅ができるなど、賃貸の選択肢が広がっています。
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